私自身を肯定されている気分になった話
告知後の心境を書こうかと考えていたのですが、先に子供に関する話です。
子供に関しては各々の考え・価値観があると思いますので、もし不愉快な気分になられたら申し訳ございません。
所謂小梨選択
私たち夫婦は子供と作らないという選択をしています。
結婚前後に確認をし、2人で楽しく暮らしていきましょうと話し合っていました。
趣味もあり2人で遊ぶことが大好きで、子供が欲しいと熱望したこともないため、あっさりとこの選択は決まりました。
そのため、子宮頸がんの治療のため子宮や卵巣を摘出することに迷いはありませんでした。
医師もびっくりの即答をしました。摘出してください、と。
社内の方から印象深い言葉
社内では基本的に病名を明言せず、ただ手術と治療のため休職をしますと伝えてもらうようにしています。私から話す際もそうしています。
すべては自身のメンタル維持のためです。
理由は周りから過剰に心配されたり自身の弱いところを会社の人に見られると思うと、余計なストレスになると判断したからです。特に好ましくない関係の方から哀れみやもしくは傷つけられるようなことがあったら、それだけで胃潰瘍になると思います。
そのため社内の方とは早く治療して戻ってきますといったような軽いやり取りで済ませておりました。
きっかけは忘れてしまいましたが社内のある方とお話をしている最中、子供に関する話題になりました。
その方は子供を作らないと同意してから結婚したと、あっけらかんとお話されました。
今でこそ子供を作らないと人に伝えても珍しがられませんが、その方のご年齢としては珍しいことだと思います。
センシティブな話題にも拘わらず気にも留めず話されていたので驚きましたが、その話の中で特に印象的だったことがあります。
- 配偶者はパートナーである、その言葉がしっくりくる。
- 子供がいないことに対して周りから妊活やら勧められたが、大きなお世話だ。
- 2人でどう過ごしたいかが大切なのだ、満足している。
この言葉を忘れずに、前向きに
子供を作らないと決めていますが、ごくたまに悩むこともありました。
その原因は他人の目です。
子供は良いよと話されたり、作らないと明言すると気を遣われてか「いいって、そういう事言わなくて」、「私も欲しくなかったのよ、でも年を経るにつれて欲しくなったの。だからわからないわよ」なんて言われたり。
やはり子供を作らないというのは、他人から憐れまれるのかという事を時々考えてしまいました。
自身で決めていることなのにこのような思考になってしまう原因は、プライドが高く、惨めであると思われたくないせいかと思います。
今まではまだ年齢的にもチャレンジすれば子供は作れる可能性はありました。
5年後、10年後生きていける可能性を増やすためではありますが、子宮頸がんにより子宮・卵巣を摘出するため今後は可能性すらなくなります。
告知後、再度この子供問題が頭を過ることもありました。
しかしこの方の言葉で、信念を強固にできました。
- 自分自身が満足していれば、それが幸せなのである。
- 幸せの定義は自身の物差しで。
- パートナーは1番の味方である、共に歩むのだ。
これから手術や治療に挑む上で、このことは大切なのではと感じています。
開腹手術をするため大きな痕が残る。子供を100%作れなくなる。抗がん剤治療で脱毛等により見た目が変化する期間がある。
それらにより周りから憐憫の眼差しを送られることも予想されます。
しかし私自身が生きていこうとするための過程です、他人なんて関係ありません。私が懸命に生きている過程になるのです。
パートナーが隣にいてずっと味方でいてくれるということは、心強い以外の何物でもないと思っています。
もちろん(私はとても数少ないですが)友人からの励ましも心の支えになっています。
先の見えない治療ですので他人からの目線など気にせず、自身と自分を大切に思ってくれている方だけ信じて頑張ったって良いのではないでしょうか。
治療はまだ始まっていないため思考の変化があるかもしれないですが、自身を大切にして、信じていることからブレず、これからの治療に挑んでいきたいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。