まだ手術日が決まらず、やきもきした毎日を送っております。
がんの告知から期間が開いてきているため、冷静になってきました。
覚悟はできた“つもり”だったのですが、悶々と考えることが増えてきました。
そのため気持ちが落ち着いてきたがために生じてきた手術・治療に対する思いを書いていこうと思います。
色んな意味で早く手術してほしかった
勢いそのままで手術してほしかったと思っています。
結婚でも言われていますが勢いは大切だと感じているからです。時間が空いてしまうと、考えている時間が生じてしまいます。
冷静に考える時間があると、体験したことがないため恐怖や不安が増えていきます。
どれくらい痛いのだろうか、どのくらい気持ち悪くなるのだろうか、脱毛の副作用が強い抗がん剤使用となるのだろうか……
実際に手術等が行われないとわからない、体験してみないとわからないと頭の中では理解できていますが、未知への恐怖は高まっていくものです。
目に見える変化
生きていけるならば、それが1番であるということは大前提で変わりありません。
しかし手術痕が残るということは、受け入れられるまで時間がかかりそうです。
手術痕のイメージが落ち着いた状態であると、手術直後の状態は受け入れにくい心情になってしまうかもしれません。
何もなかったところに傷が残るということは、衝撃的な出来事です。
誰だって傷はないに越したことはないですものね。
最近は事ある毎に自身のお腹を見てしまいまいます、傷も何もないツルツルとしたお腹です。
ここに傷が残るのか、と悲観的になってしまいます。
見た目に対してコンプレックスは多い方ですが、私のお腹とおへそは好きでした。
他のパーツに比べたら比較的マシではないかなと思っていたためです。
『開腹手術 傷跡 半年』で検索して、自身はどうなるのか調べてしまいますが、傷跡の変化は人それぞれなのようです。手術痕の赤みが引いて落ち着いた状態になるまでだって、人によりけりなようです。
少しでも傷跡が目立たないようになってほしいものですが、こればかりはわからないです。
加えて開腹手術で縫う際におへそが曲がってしまうこともあると知り、尚更不安が高まってしまいます。
また臓器が1つなくなるためか、下っ腹ポッコリになるとも聞きました。
どうしたら戻るのでしょうか。開腹手術であるため腹筋はより鍛えにくいと耳にもしました。
腹横筋というインナーマッスルを鍛えることが、ポッコリお腹解消へ繋がるらしいので、フロントの筋肉ではないので取り組んでみようかと思います。
実際はどうなるかは手術をしてみないと考えられます。
まだ行われていないため予測がで来ません。不明なことは不安を煽ると理解できていますが、現実として受け入れられるかはまた別の話です。
さらに私には現在痛みもなくいつもと変わらない生活状況であるため、この事実とギャップをさらに深くしていると思います。
治療の抗がん剤の脱毛も悩みの種です。
こちらは病理検査の結果により決まるものではありますが、現時点でリンパ節の転移が疑われているため同時化学放射線治療等の術後の治療がある可能性は高いです。
さらに放射線のみなのか化学療法かといったことも未定であり、化学療法の場合はどのような抗がん剤なのか不明なことも不安要素です。
倦怠感、吐き気、下痢等々辛い後遺症はもちろん恐ろしいく、経験してみないと感想は延べられないと理解はしています。
化学療法の副作用としてよく言われている脱毛はどうなるのかイメージしやすく、他人からもどのような病気なのか想像がしやすくなってしまうものです。
親しい間柄の方だけならば問題ないですが、職場等知られたくない場もあります。
他人から見てわかる変化というものは、思っている以上に耐え難いことなのではないかと私は思っています。
できれば他者に弱いところは見せたくないですし、腫れもの扱いをされたくないという気持ちがあるためです。
同じ人など1人もいないため、相手の気持ちを推し量れるよう互いに気遣うということは大切だと考えています。
しかし実際であったことがなかったり、想像が難しかったり、どうしたら相手にとって不愉快でないか考えても答えは出しにくかったり、おいそれとはいかないものです。
今までどうしたら良いかわからず、相手を不快にさせていたことが多かったと思います。
上記を踏まえて現在思うことは『何も気にしないでほしい』かと思っています。
現在の自分のままで、がんというフィルターを通して見ないでほしいです。
可愛そうという同情は得たくありません。哀れみが付きまとってしまっては、仕事で何をしても今まで通りの評価は得られないかと思うためです。
治療後は今まで通り働けるまで時間がかかるかもしれないですが、通常勤務に戻ったら今まで通りにしてもらう、それが精神衛生上1番良いと思います。
このような思考から、偏見というものは自分と違うからどうしたら良いのかわからないという点から発生しているのかと今のところ理解できるようになりました。
自分と異なる点を他人が持っているなんて当たり前ですし、何なら私は他人から受け入れにくい性質を(性格で既に)持っていているでしょう。
性格が合うから友達になる、これくらいシンプルな回路でいれば良いのではないかなと。
口下手であるため実生活では上手く言葉にして伝えられないかもしれないですが、過剰に気にせず自然にしていきたいです。
もちろん他の方の手助けが必要となる機会もあるかと思います。
その点はどうしたら良いものなのでしょうか。
誰でも困っていたら助けると思いますので、その程度の感覚がちょうどいいのでしょうか。
生活は続いていく
生きていけるならば、生活は続いていきます。
その生活に支障が出てくるということは、平静さを失うものだと思います。
今までの普通、日常とは少々異なってくるのでしょう。
食生活に気を遣ったりしなければなりません。長時間座り続けないようにしたり脚を投げ出せるような物を設置したりし、デスクワークでも気を付けなければならないことがあります。今までできていた運動も、様子を見ながらしていかなければなりません。
生活における制限というものは、ないことに越したことはありません。
変化は比較的好きな方ですが、少し不自由な方向へ変化することは受け入れ難いです。
何度も述べますが、生きていければそれが1番ということは理解できています。
しかし今までとは生活の質(Quality of life, QOL)が異なるということは、容易に受容できないです。
しかしがんという事実は変わらないですので、前向きに進んでいくしかないという事実もあります。
良い言い方ではありませんが、『開き直る』しかないかもしれないと私は考えるようになってきました。
明石家さんまさんの『生きているだけで丸儲け』ではないですが、生きていられるならば受け入れるしかないです。
だからといって後ろ向きで立ち止まったままではなく、やれることからやって行しかありません。
上記のように考え込むことも増えましたが、してみないとわからない、どうなるかはまだわからない、そのため今考えても仕方がないのだと思います。
またポジティブ思考で動くことは回復も早まるでしょうし、できることも予想より多くなるかもしれません。
少しづつでもリハビリしていければ、趣味であるロードバイクも満喫できるようになれるかもしれません。
リンパ節郭清による浮腫予防で過度な運動はお勧めしないという情報は知っていますが、徐々に運動負荷を上げていき、疲労が溜まらない程度を把握できていけば可能になるかもしれないと考えているためです。
色々な方がおっしゃっていることではありますが、できないことではなくできることに目を向けていくことが、気持ちの面でもQOLの向上に繋がるかもしれません。
まずは手術と治療をしていくしかないですが、体力面は自身の身体で試してみるしかないなと思います。
いつからロードバイクに乗れるまで回復できるのか。サイクルイベントに参加できるのか。身体と相談しつつですが、チャレンジあるのみです。
このことについても記録として書いていけたらなと思っています。
ロードバイクへの熱が強すぎるため、ブログ名を『ロードバイクに乗りたい』とかに変更した方が良いかもしれない。
そもそも論として、転移や再発という結果か待っているかもしれないということは一旦置いておきます。
モチベーションとしては、なるべく良い結果になるように耐えるのみ。
早く手術日決まってほしいなーーーーー。